Stories日本の美をつくる

04金銀箔

時代と共に進化する、
金銀箔壁紙の華やかさ[歴清社]

1905年創業の歴清社さんは、金銀箔壁紙の老舗メーカー。日本初となる変色しにくい洋金箔紙の技術を開発し、以来、国内外のさまざまな場所で製品が活用されています。ここでは、現在に至るまでの歴史を紐解きながら、金銀箔壁紙が持つ魅力について迫っていきます。
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世界遺産として知られる、広島市の原爆ドーム。
国内外から毎年大勢の観光客が訪れています。

原爆被害を乗り越えた、
世界を魅了する箔の表現

人類史上最初の被爆都市である、広島県広島市。原子爆弾によって破壊された当時の街は、「75年間は草木も生えない」と言われるほど荒廃したと言われます。しかし、絶望の中で人々は勇気を持って立ち上がり、懸命に努力を重ね、目覚ましい復興を遂げていきました。

現在、広島市は、平和を願い続けた先人の努力を受け継ぎ、世界各国から観光客が押し寄せる大都市となっています。広島市で金銀箔壁紙の製造・企画・販売を行っている歴清社さんも、そんな原爆の被害を乗り越えてきた会社のひとつ。国内外のホテルや美術館の内装にも使われている煌びやかな壁紙のイメージとは異なり、さまざまな苦難に直面した歴史を持っています。
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広島の爆心地から2.2キロ地点に位置する歴清社さん。
被曝を受けた煙突が現在でも残っています。

歴清社さんが創業したのは1905年のこと。元々刀剣商を営んでいた創業者の久永清次郎さんが、1876年の廃刀令を機に屏風商に転換したことがことの始まりでした。現在、代表取締役を務める久永朋幸さんは、このように自社の歴史を説明します。

「元々、金紙や銀紙を京都から仕入れて屏風を製作し、広島のお客様を中心に販売していました。しかし、当時は広島に入ってくる金紙や銀紙が少なく、お客様を待たせる状態が続いたと言います。そこで『手に入れやすく、安価で、自分たちでも加工がしやすい素材はないか』と考え、洋金箔(真鍮製の箔)を使った金紙を開発することになりました」

しかし、洋金箔は、時間の経過と共に変色してしまうという特徴があります。

「金屏風というのは、『この喜ばしい時間がいつまでも続きますように』という想いが込められているもの。そのため、素材の色が変わってしまうことは避けなくてはいけません。そこで、約10年の月日を費やして接着剤など材料の改良を行い、試行錯誤の末、ようやく変色しにくい洋金箔紙を日本で初めて開発することができたのです」
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久永さん(右)とリリカラのアートディレクター・波多野。
原爆の被害を受けた小学校の廃材を移築して建てたという工場にて。

手に届きやすい価格帯になった金紙のニーズは次第に高まり、その後屏風紙だけでなく、襖紙や建具用の紙など、表具の世界にも進出するようになります。そして、金紙への注目は日本を飛び越え、世界にも広まっていきました。

「1920年代に入ると、アメリカからバイヤーが来て、『壁紙をつくってくれ』という要望をいただいたのです。現地にあるホテルのエントランスは、天井までの高さが約8ヤード。『その程度の長さがあれば問題ない』ということで、現在にも続く7.4メートルという弊社の壁紙規格が生まれていきました」
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洋金箔の1枚の薄さはたった0.0004ミリ。
しかも、それぞれ違う表情を持っているのだとか。

しかし、時代は戦争に突入していきます。1945年8月5日、爆心地から2.2キロ地点にある本社工場は、原爆で焼失。5階建ての工場は、コンクリートでつくられていた1階の倉庫と、高さ約20メートルの煙突だけを残し、すべてを失うことになりました。

「原爆の投下後は、何もかもがなくなってしまって、この工場から広島駅が見えたほどだったと言います。そのような中、焼け残った弊社の煙突を目印にして人々が集まるようになり、周囲にバラック小屋を建てて生活を始めるようになりました。しかし、大変なのは、雨が降ったとき。あり合わせのものでつくった小屋なので、どうしても雨漏りしてしまう。雨は、人の気持ちを暗くさせます。その結果、気を病んでしまい、体調を崩してしまう人が後を絶たなかったそうです」

2代目の清次郎さんと当時の職人さんたちはその様子を目にして、「自分たちに何かできないか」を考え続けました。そこで思いついたのが、さまざまな検証で扱っていたコールタール塗料の存在。コールタールと言えば、船底にも使用される高撥水性のコーティング剤です。これを紙に塗布することで、防水性の高い紙をつくることができるのではないかと考えたのです。
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現在は使われていない、工場内の煙突。
歴清社さんの復興のシンボルとして残されています。

「早速、製作したものをバラック小屋の人たちに渡したところ、雨漏りを効果的に抑えることができました。このことが、2代目清次郎や工場の人たち、地域の人たちの生きる勇気につながっていきます。『このことを糧にして、がんばって生きていこう』。そんな想いからつけられたのが、コールタールの和名『瀝青』を用いた『歴清社』という社名でした」

歴清社さんが金銀箔の壁紙づくりを再開したのは、1950年代に入ってから。59年には、残った倉庫と煙突を取り囲むようにして現在の工場を建てたと言います。

「何もかもがなくなってしまった工場跡地に、当時の職人さんや近所の大工さんが集まり、みんなで原爆の被害に遭って倒壊した小学校の廃材を移築してつくったのが、現在の工場です。『爆心地から5キロ以内に現存する建物』という市の基準で、倉庫のみが『被爆建物リスト』に登録されていますが、私たちにとってこの建物すべてが歴史遺産のようなものなのです」
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箔押しを時代に反映させ、
新しい価値を創造する

歴史ある歴清社さんの工場で、現在でもつくられ続けている金銀箔の壁紙——。その特徴は、やはり素材そのものの華やかさです。箔には同じものが存在せず、その一枚一枚に個性的な表情があります。そんな特徴のある箔を貼り合わせて壁紙にすることで、空間を荘厳な空気で包み込む効果を生み出します。

「私たちの金銀箔壁紙のニーズが多いのは、美術館やブランド店、ホテルのロビーエントランスやスイートルームなどさまざまです。また、箔の煌びやかなイメージから、ラスベガスやシンガポール、マカオなどのカジノホテルにも使用されることもあります。そもそも、海外で箔が使われていたのは、宮殿のような建物。しかし、当時は箔を壁に直に貼ることが多く、費用面でも、工期でも負担がかかるケースが多かったと言います。それに比べ、私たちの金銀箔壁紙はコストを下げられるというメリットがある。そのため、従来箔が直貼りで使用されていた箇所に、私たちの商品がスライドして使用されているという状況があります」
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洋金箔の箔押し工程。
7.4メートルの紙に、複数人で位置を変えながら貼り付けていきます。

このような金銀箔壁紙が持つ美しさは、「実は照明の光量の加減で変化する」と久永さんは説明します。

「例えば、豊臣秀吉がつくらせたという黄金の茶室というものがあります。現在、MOA美術館で復元されたものを見学することができますが、本来的な秀吉の演出を考えると、それも少し照明が強すぎると感じます。というのも、秀吉が生きていた時代の照明というのは、種油。種油の火というのはその場だけを燈すような灯りです。それが茶室の金箔の壁に照らされて輝き、一方でその周囲には漆黒の闇をつくり出します。そのような光と陰影が生み出す空間が、戦前の士気を高める作用を生み出すのです。また戦から帰った後は、種油の灯りをすべて消して、外光を少しだけ取り込む。すると、箔は闇の中で静かに光り、心を落ち着かせてくれる空間に変化します。このような金銀箔壁紙の性質をうまく利用しているのが、実は海外のホテルです。海外のホテルは、日本のホテルに比べて室内が暗い印象がありますが、それは壁紙と照明がもたらす効果を高め、心地よい空間演出を行っているからなのだと考えます」
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箔押しの後、専用の道具で余分な箔を取り除きます。
力加減が難しく、熟練の技が必要だとか。

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紙と箔の密着性を向上させるため、約2週間吊るした状態で寝かせます。
美しい金の光が工場内を染め上げます。

現在、「文化的かつ現代的な、新しいインテリアと製品の可能性を創造する」ことに全力を注いでいるという、歴清社さん。そのような取り組みを可能にしているのが、工場内で働く人たちの「クリエイター」としての意識改革です。

「私が2016年に社長になったときに宣言したのが、『職人からの脱却』ということでした。『職人』という言葉を辞書で調べると、『毎日同じことを行い、その道を突き詰めた人』というニュアンスのことが書かれています。しかし、歴清社は、創業以来、『常に新しいものを生み出す』という姿勢を貫いてきた会社。そういう意味では、弊社で働くメンバーはひとつのことを突き詰めるのではなく、さまざまなことに挑戦できるクリエイターであってほしいという気持ちがあるのです」
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箔の変色と腐食を防ぐ接着・コーティング工程。
箔をきれいな状態に保つのも技術が必要です。

現在、歴清社さんで働く人たちの平均年齢は30代半ば。若いクリエイターたちがつくるものの中には、従来の完成度に達していないものも生まれることがあります。

「しかし、そのようなミスを恐れて、箔押しをする機会を奪ってはいけない。そもそも箔というものは、捨てるところがない素材。箔の端材や屑となった部分も、素材によってはリサイクルすることもできます。そうやって、積極的にモノをつくる機会を豊富に生み出すことで、若い人たちと共に、時代に合った新しい商品を開発していきたいと思っています」
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「日々スキルを磨き続けている」という
歴清社さんの「クリエイター」のみなさんと、久永さん。

インタビューの最後、久永さんに今後の目標を尋ねると、「実はあまり壁紙にこだわっていない」という意外な返答が。

「弊社では、金銀紙を製造しています。その金銀紙は、壁であったり、屏風であったり、襖であったり、さまざまなものに貼ることができます。つまり私たちは、常に『紙の提案』をしていると言うことができます。金銀紙を開発して以来、時代を経ながらさまざまな業界にモノづくりの提案を行ってきましたが、私たちはこれからも先代たちから伝わる技法を使い、魅力を発信することで新しい文化をつくり出していきたい。そして、その新しい世界に向かって、常に挑戦し続けていきたいと思っています」
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